
リーダーとして守るべきことは「まことにその中をとれ」。
中国古典の「書経」に出て来る最初の聖王である堯(ぎょう)は、自分の位を舜(しゅん)に譲るときに、リーダーとしてこれだけは守って欲しいと、「まことにその中をとれ」とだだ一言のアドバイスをしました。
次に、堯から王位を受け継いだ舜が、またその次の禹(う)に王位を継承するきには、「欲望にまどわされる人心(じんしん)は危うく、天から授かった道心(どうしん)は捉え難い。だからよくよく心をすまして『まことにその中をとれ』」と少し説明を加えました。
「中をとる」とは、その時の状況に対してほどよい対処をするということで、感情や意見、立場を表明しないということとは異なります。ある時はすごく悲しむこと、ある時はすごく怒ることが中となります。なかなか難しいので、舜は「心をすましてよく検討しなさい」というアドバイスを加えました。
書き下し文(中庸章句序の一部)
蓋(けだ)し上古(じょうこ)の聖神(せいしん)、天(てん)に継(つ)いで極(きょく)を立(た)てしより、道統(どうとう)の伝(でん)は自(よ)って来(きた)る有(あ)り。その経(きょう)に見(み)ゆる(もの)は、則(すなわ)ち允(まこと)に厥(そ)の中(ちゅう)を執(と)れとは、堯(ぎょう)の舜(しゅん)に授(さづ)くる所以(ゆえん)なり。人心(じんしん)は惟(こ)れ危(あや)うく道心(どうしん)惟(こ)れ微(び)なり。惟(こ)れ精(せい)に惟(こ)れ一(いつ)にして、允(まこと)に厥(そ)の中(ちゅう)を執(と)れとは、舜(しゅん)の禹(う)に授(さず)くる所以(ゆえん)なり。堯(ぎょう)の一言(いちげん)は、至(いた)れり、尽(つ)くせり。而(しか)して舜(しゅん)の復(ま)たこれを益(ま)すに三言(さんげん)をもってする者(もの)は、則(すなわ)ち夫(か)の堯(ぎょう)の一言(いちげん)は、必(かなら)ず是(か)くのごとくにして而(しか)る後(のち)庶幾(しょき)すべきを明(あきら)かにする所以(ゆえん)なり。
現代語訳
考えてみるに、太古の昔の聖人たちが、天意を継承して社会規範を形成したところから、道の伝統は続いてきている。論語などの経書には、「まことにその中をとれ」が堯(ぎょう)から舜(しゅん)に禅譲したときの訓戒であったと記してある。「物欲に惑わされる人心は危うく、天から授かった道心は微妙である。これらを精一に心をすまして検討した上で、まことにその中をとれ」が舜(しゅん)が夏王朝の禹(う)に禅譲したときの訓戒であった。堯の「まことにその中をとれ」という一言はそれだけで完全なものであった。しかし舜がさらにこれに人心、道心、精一(せいいつ)の三言を加えたのは、必ず三言を熟慮し、その後に「中をとる」ことが叶うのである、ということを明らかにしたのである。
解説
- 中庸章句(ちゅうようしょうく):朱熹(しゅき)による「中庸」の注釈書
- 朱熹(しゅき):中国南宋の儒学者(1130 ~1200)
- 蓋(けだ)し:考えてみるに、思うに
- 上古(じょうこ):おおむかし。歴史区分の上では、文献の記述する限りで最も古い時代。
- 聖神(せいしん):堯・舜よりも更に古い時代の聖人
- 天(てん)に継(つ)いで:天意を継承して。
古代中国には易姓革命(えきせいかくめい)という政治思想があり、天命によって王朝が交代すると考えられていた。その王朝の交代の時、君主の地位を一族以外の有徳者に平和的に譲り渡すことを「禅譲(ぜんじょう)」といい、天から命ぜられた聖人が、天に代わって暴君を討ち、王朝を交代させることを「天誅(てんちゅう)」という。 - 堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う):「書経」に登場する最初の聖王。堯から舜に禅譲を行い、舜から禹に禅譲を行った。堯、舜は実在の人物かは判然としない。禹の建国した夏王朝(BC2070-BC1600)は中国最古の王朝と考えられている。
参考:中国の歴史 - 極(きょく):基準、規範。人の守るべき法則、社会の基準
- 道統(どうとう):天の道の継承による伝統
- 経(きょう):経典、経書。「論語」の堯曰篇(497)に「まことにその中をとれ」の記載がある。
- 人心(じんしん):肉体を持つ人間の欲望などの心
- 道心(どうしん):天から授けられた心。人として仁義礼智信を求める心。
- 惟(こ)れ精(せい)に惟(こ)れ一(いつ)に:精密に一心に検討して
- 三言(さんげん):人心、道心、精一(せいいつ)のこと。精一とは、純粋にひたすら打ち込むこと。
- 庶幾(しょき):心から願うこと


