中庸【第一段 第一節】天の命ぜるこれを性という

「天の命ぜるこれを性という」の天は、宇宙の万物を創造する大元気である天のこと。
誰しも生まれてくる前、天との間でこのようなやりとりがあったと想定されます。

わたし
わたし

今度、生まれることになったんですが。。。

そうか、何に生まれる?そうだ。猫なんかどう?猫は可愛くていいよ。

わたし
わたし

ね、猫ですか。いや~猫はちょっと。。。

じゃあ松のがいいか。松もいいよ。格好よくてきれいだから。

わたし
わたし

いやあの、できれば、人間がいいんですが。。。

人間?人間はやめといた方がいいよ。やっかいだから。

わたし
わたし

そこを何とか、人間、ダメでしょうか。。。

うーん。どうしてもって言うなら、これを持っていきなさい。

このとき、天は私たちに「性」を持たせてくれました。性とは、人間性、天性、理性のこと。天性はひとりひとり異なるから、自分の天性を発見し、発揮できれば愉快な人生をおくることができます。理性は、欲望というアクセルに対するブレーキとして働きます。

この性にしたがって生きることが「道」=人が歩むべき道で、道とは何か学んで身に着けることが教育です。

りっぱな人はまだ目には見えていない天のきざし、まだ聞こえていない天の声に対してもおそれつつしんでいるので、ひとりでいるときにも、自分の行いを慎み、人に見られたら恥ずかしいようなことはしません。これを慎独(しんどく)といい、儒教で重視されている自己修養の方法です。

こうした地味な自己修養を積み重ねることが、「人格」といった微(かす)かにして明らかなものとなってあらわれてくるのです。

漢文と書き下し文

天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。道也者、不可須阿臾離也。可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隠、莫顕乎微、故君子慎其独也。

てんめいぜる、これせいふ。せいしたがふ、これみちふ。みちおさむる、これおしえとふ。
みちなるもの須臾しゅゆはなるべからざるなり。はなるべきはみちあらざるなり。ゆえ君子くんしえざるところ戒慎かいしんし、こえざるところ恐懼きょうくす。かくれたるよりあらはるるはく、かすかなるよりあきらかなるはし。ゆえ君子くんしどくつつしなり。

現代語訳

天が命じたもの、これを「性」という。性に従うこと、これを人が歩むべき道という。道とは何か学んで身に着けること、これを教育という。 道からは少しの間も離れてはならない。離れて良いものは道ではない。このため、りっぱな人は見えない天に対して自分の行いをいましめつつしみ、聞こえない天の声におそれかしこまっている。隠れてやっていることほど露見しやすいことはなく、微かなことほど明らかに表に出ることはない。このため、りっぱな人は一人でいるときもその行いを慎む

解説

  • 天の命ぜる、之を性と謂ふ:天が、人間に生まれてくるときに「性」をくれた。性とは、人間性、天性、理性のこと。天性はひとりひとり異なるから、自分の天性を発見し、発揮できれば愉快な人生に。理性は、欲望のアクセルに対するブレーキで、精神、意識、霊魂からできている。精神と意識は古典を読んで培い、霊魂は、美しいものを見ることで強化される。
  • 道:人としての道。自分の中の善なる性質を発見して目覚め、それを外界に対しても発揮すること。自己の最善を他者に尽くすこと。「大学」の「明徳を明らかにする」のこと。
  • 修める:学んで身につける。
  • 須臾(しゅゆ):ごく短い時間
  • 戒慎(かいしん):言動をいましめつつしむこと
  • 恐懼(きょうく):おそれかしこまること
  • 独を慎む:慎独(しんどく)。一人のときも天に恥ずかしいようなこと、誰かに見られたら恥ずかしいことはしないこと。慎独をすると清廉潔白な人間になれ、人格力が得られる。
    参考記事:「【慎独・立腰・克己】学んだら実践