禅語【隻手音声】音なき音を聴く

隻手音声(せきしゅおんじょう)

意味:片手の音

白隠禅師(1685年~1768年)の修行者に対する問いに、以下のようなものがあるそうです。

両掌(りょうしょう)打って音声(おんじょう)あり、隻手(せきしゅ)に何の音声(おんじょう)かある。隻手(せきしゅ)の声を拈提(ねんてい)せよ。

意味:両手を打つと音がするけれども、片手にはどのような音があるのか。片手の音とはどのようなものか答えなさい。

これは、どのような意味でしょうか。

片手では、音はしないと私は思います。 だから、音は無いのです。 なのに「何の音声(おんじょう)かある」と禅師が問うたのは、音なき音を聴いてみよということなのかなと感じました。

私は座禅をしてもなかなか心が落ち着かず、雑念ばかりで本当に嫌になります。 心が落ち着くと良いと思っていることさえ雑念に思えて、どうすればいいのかよく分からなくなります。
座禅の目指す天地万物との一体感は、体感するしかない世界であるとも禅師の言葉は言っているように思います。

私はこの禅語を華道を習っている友から聞きました。
師からこの禅の公案の意味を考えるように言われた彼女は、言葉を語ることのないお花と向き合い、お花の声なき声を聴いて活けることかな、と解釈したそうです。