「老子って、興味はあるけど難解では?」
「老子の言葉は、常識の逆を言っているように感じるけど、本当はどういう意味?」
「老子の言葉に、現代を生きるヒントはあるの?」
この記事は、そんな興味を持っているあなたのために書きました。
「道」は、神道なら神、仏教なら仏、儒家なら天と呼ぶ大きな存在のことです。
老子はどんな人物だったのか?
老子の説く「道」とは?
この記事が、あなたが老子と「道」に出会うきっかけとなれば何よりも嬉しいです。

【筆者プロフィール】
老子を読んで17年の東洋思想学習者。30年の会社員生活では老子にキャリアの基本方針を教えられ、急性白血病治療の2年半は老子が心の杖となった。
老子とは
老子は、紀元前五世紀の中国春秋戦国時代、つまり今から二千五百年前の中国の思想家です。
老子について、知られていることは殆どないようですが、図書館の司書のような仕事をしていた人だったようです。定年退職で自分の故郷へ帰ろうと牛に乗ってゆったり西に行く途中、函谷関の関所で、「急いでないなら、先生が後世に残したい文章を執筆してもらえませんか」と関所の役人に請われて書いたのが「老子道徳経」八十一章で、老子の著作はこれひとつです。
老子の名言10選
この記事では、老子の名言から以下のポイントをご紹介します。
- 宇宙の根源である「道」と共に宇宙大の心で生きる
- 道は言葉で説明できない
- 水は道の在り方を象徴している
- 「無」には重要な意味がある
- 満足は自分で感じるもの
さっそく見ていきましょう。
道の道とす可(べ)きは、常道(じょうどう)に非(あら)ず
老子の「道徳経」は、宇宙の根源・万物の生みの親である「道」の在り方を自分の在り方とし、道と共に宇宙大の心で自由に生きることを説いています。
ところが、第1章冒頭では、「道」とは、こんなものだよ、と説明してみたところで、それが常に「道」を表現しているとは言えない。道はつかみどころがない、言葉で表現できない、と始まります。
さらに、第1章は、この後、以下のように続きます。
名の名とす可(べ)きは、常名(じょうみょう)に非(あら)ず
何かに名前をつけてみたところで、その名前は移り変わってゆく。
例えば何か社会的な肩書きを得たといって喜んでみても、その肩書き=名前ってずっと続くものだろうか、と考えてみると、ちょっと分かるかもしれません。
その光を和(やわら)げ、その塵(ちり)に同ず
第4章のこの部分は、「和光同塵(わこうどうじん)」の語源になったと言われています
「道」という存在の在り方は、光=その輝かしい部分はやわらかく包んで隠してしまい、塵=ホコリのように、その他大勢と同じになって、目立たなくなっているから、人の在り方もその方が良い。
人はキラキラしたスターのような存在感に憧れたりするけど、それでは長続きしないよ、というのが老子からのアドバイスです。
上善(じょうぜん)は水のごとし
老子の説く理想の在り方の象徴が水です。
第8章のこの部分は、「水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。」と続きます。水は全てのものに利益を与えて、争うことはない。みんなが嫌がるような低いところに流れてゆく、という意味です。
こうした水のような在り方を老子は理想としているんですね。
無用の用(むようのよう)
第11章では、車の車輪も中央に遊びがないと回転できない、器は空でないと物が入れられない、部屋も空いていなければ使えない、などの例を挙げて、「何も無い」ことが実は役立っていると言っています。
会議室も、空いてなければ使えないし、
ワイングラスも、空になっていないと、新しいワインは注げません。
寵辱(ちょうじょく)驚(おどろ)くがごとし
第13章のこの章句は、他人の評価に生きてはいけないという諫めです。
寵辱(ちょうじょく)の、寵とは、寵愛を受けること。辱とは、寵愛を失うこと。誰かから寵愛を得た、失ったといって、いちいち驚いて、大騒ぎしてはいけないよ、という意味です。
「どうでもいいことに一喜一憂していないか。社会に翻弄されるのはつまらない。そういうのは放っといて、自分でいいと思うように生きた方がいい。」と老子からアドバイスされています。
曲なればすなわち全く、枉(おう)なればすなわち直(なお)し
第22章。「曲なればすなわち全く」とは、木は、枝ぶりがくねくね曲がっていると材木として切られないから、完全な形でいつまでもいられる、という意味。長寿をいいことだと考えるなら、人間も曲がった木のように、欠点があるから登用されることもなく、暇で健康で長生きもいいかも。才気があるとこき使われて早死にすることになるから。
「枉(おう)なればすなわち直(なお)し」は、尺取虫のように身を曲げるから、ずっとまっすぐ行けるという意味。かがまないと、伸びることもできない。
逆説のようで、確かに、と思わされます。
足るを知る者は富む
第33章。満足することを知っている人が豊かな人。
もっと、もっとは限界が無くて怖い。
欲望という人生のアクセルを否定するものではありませんが、理性というブレーキをかけないと、際限のない欲望はブレーキのない車のような状態になってしまうから怖いよ、満足するかどうかは、自分が決めることで、満足することこそ本当の豊かさだと老子は教えています。
無有にして無間に入る
第43章。形のない水は、どこにでも入っていける。
人も、自分のこだわりを捨てて水のように無形になれば、目に見えない、触ることのできない相手の心にも入ってゆけるよ、という老子からのアドバイスです。
ここでも水は老子にとって理想の在り方の象徴なんですね。
既(ことごと)く以て人の為(ため)にして己(おのれ)愈〻(いよいよ)有(ゆう)す
最終章、第81章。宇宙の根源である「道」と共に生きる人は、すべて人のためにして、そのことで、自分がどんどん豊かになる。
自分は持たなくても、どうぞどうぞと与えてしまう。そうしていると、「道」が心配してくれるから、どこからともなく、巡り巡って豊かな恵みを受け取ることになる。
老子は、もう定年退職して故郷に帰りたいのに関所に足止めされて、そこで頼まれて二千五百年読み継がれる名著を執筆しました。この著作の後世への恩恵は計り知れないけれども、老子は執筆料をもらったのかしら?
だけどその著書によって、老子の名前は今も語り継がれている。
まとめ
いかがでしたか?老子道徳経について、
- 宇宙の根源である「道」と共に宇宙大の心で生きる:絶対自由の境地
- 道は言葉で説明できない:言葉で説明できない世界があることを知る
- 水は道の在り方を象徴している:柔軟に、他を利する、へりくだる
- 「無」には重要な意味がある:いっぱいいっぱいでは動けない
- 満足は、自分で感じるもの:「足るを知る」ことが豊かさ
といったポイントをご紹介してきました。
もっと老子について読んでみたい、という方には、田口佳史先生の「老子の無言: 人生に行き詰まったときは老荘思想」をおすすめします!
参考図書
【参考サイト】
Web漢文大系 https://kanbun.info/


