
私たちはみな、この大宇宙・大自然の生みの親である「道」の子です。それを知り、母である道の教えを守れば一生危うさがない、と老子は言います。
心の平静を保つには余計な外界からの刺激はシャットアウトすること。それに反応して行動していれば一生救われない。
道の働きは、外界からの強い刺激にくらべれば小さくかすかなものですが、自分の内なる光で道を感じ、道の教えに立ち返れば、道と共に生きることができます。
Return to the Dao Through the Inner Light
We are all children of the Dao, the source of the vast universe and all of nature. Laozi teaches that if we recognize this and follow the teachings of the Dao, our mother, we will remain free from danger throughout our lives.
To maintain inner peace, we must not be swayed by unnecessary external stimuli. If we simply react to them and act on impulse, we will never find peace.
The workings of the Dao are subtle and faint compared to strong external stimuli. Yet if we attune ourselves to it through our inner light and return to its teachings, we can live in harmony with the Dao.
漢文・書き下し文と現代語訳
天下有始、以為天下母。
天下(てんか)に始(はじ)めあり、以(もっ)て天下(てんか)の母(はは)と為(な)る。
この世界には始まりがあり、その根源がこの世の母たる道である。
既知其母、復知其子、既知其子、復守其母、没身不殆。
既(すで)に其(そ)の母(はは)を知(し)り、復(また)其(そ)の子(こ)たるを知(し)る。既(すで)に其(そ)の子(こ)たるを知(し)り、復(また)其(そ)の母(はは)を守(まも)れば、身(み)を沒(ぼっ)するまで殆(あやう)からず。
道がこの世の母であると知り、そしてわたしたちはそこから生まれた子であると知る。子であると知り、さらに母である道の教えを守れば、一生を終えるまで危うさがない。
塞其兌、閉其門、終身不勤。
其(そ)の兌(あな)を塞(ふさ)ぎ、其(そ)の門(もん)を閉(と)づれば、終身(しゅうしん)勤(つか)れず。
感覚の出入り口を塞いで(余計な情報が入ってこないように)門を閉ざせば、生涯を終えるまで自分の心を疲弊させない。
開其兌、濟其事、終身不救。
其(そ)の兌(あな)を開(ひら)き、其(そ)の事(こと)を濟(な)せば、終身(しゅうしん)救(すく)われず。
感覚の出入り口を開いて感情的に行動すれば、生涯を通じて救われない。
- 兌(あな):感覚器官・欲望の出入り口。口、目、耳など外界と接する感覚の孔(あな)のこと
見小曰明、守柔曰強。
小(しょう)をを見(み)るを明(めい)と曰(い)い、柔(じゅう)を守(まも)るを強(きょう)と曰(い)う。
小さくかすかな道の働きに気づく力を「明」といい、柔らかさを保てることが真の強さである。
用其光、復歸其明、無遺身殃、是謂習常。
其(そ)の光(ひかり)を用(もち)いて其(そ)の明(めい)に復帰(ふっき)すれば、身(み)に殃(わざわい)を遺(のこ)す無(な)し。是(これ)を習常(じゅうじょう)と謂(い)う。
自分の中にある内面の光で、道の教えに立ち返ることで、身に災いを残すことはない。これが常に道と共にある生き方である。
- 習常(じゅうじょう):常なるもの(道)を習い知ること、永遠なるものに習うこと。常に道に習っていること。

