
大宇宙・大自然の根源である道の原則で生きているりっぱな人は、善人を見れば善人だと思うし、善人でない人を見ても善人であるとします。それは、人間は本来、道から徳を授かって生まれてきているから。徳は善なるものだから、今善人かどうかは今善を発揮できているかどうかだけの違いで、本来誰でも善人となる可能性があることを知っているから。
同様に、信頼のおける人は信頼がおけるとするし、信頼がおけない人も信頼がおけるとします。それは人間が本来授かった徳には信が備わっていることを見越しているから。
りっぱなリーダーは、どんな人でも本来道から授かった人間としての善や信を発揮することができると期待して待つのですね。
Waiting in Trust for Virtue to Emerge
A noble person who lives according to the principles of the Way—the source of the great universe and nature—regards the good as good, and even those who are not good as good.
This is because human beings are born endowed with virtue from the Way. Since virtue itself is good, whether someone appears good at present is only a matter of whether that goodness is being expressed at this moment. At heart, everyone possesses the potential for goodness.
Likewise, they trust those who are trustworthy, and they also trust those who seem untrustworthy. This is because they understand that the virtue originally granted to human beings includes sincerity and trustworthiness.
A truly great leader waits with confidence, believing that every person can bring forth the goodness and trustworthiness originally received from the Way.
漢文・書き下し文と現代語訳
聖人無常心、以百姓心爲心。
聖人(せいじん)には常(つね)の心(こころ)無なし。百姓(ひゃっくせい)の心(こころ)を以(もっ)て心(こころ)と為(な)す。
道の原則で生きるりっぱな人には変わることのない心がない。人々の心をもって心としているからだ。
善者吾善之、不善者吾亦善之。德善。
善(ぜん)なる者(もの)は吾(われ)之(これ)を善(ぜん)とし、不善(ふぜん)なる者(もの)も吾(われ)亦(また)之(これ)を善(ぜん)とせん。徳(とく)善(ぜん)なればなり。
善人は善人であるとして、善人でないものもまた善人とする。全ての人が道から授かっている人間としての徳は善だからである。
信者吾信之、不信者吾亦信之。德信。
信(しん)なる者(もの)は吾(われ)之(これ)を信(しん)とし、不信(ふしん)なる者(もの)も吾(われ)亦(また)之(これ)を信(しん)とせん。徳(とく)信(しん)なればなり。
信じられる人は信じられるとして、信じられない人もまた信じられるとする。全ての人が道から授かっている徳は信を含んでいるからである。
聖人在天下、怵怵爲天下渾其心。
聖人(せいじん)の天下(てんか)に在(あ)るや、怵怵(じゅつじゅつ)として天下(てんか)の為(ため)に其(そ)の心(こころ)を渾(にご)す。
道の原則で生きるりっぱな人が天下を治めると、おそれ慎む心で天下の様々なことを思いやり、その心に全てを受け入れる。
- 怵:おそれる。
- 渾:①水のゆたかなさま、ゆたかに流れる音。②あつまり流れる。③すべて、大きい。④さかん、完全である、全し、一となる。⑤みちる、ひとしい、区別がない。
百姓皆注其耳目。聖人皆孩之。
百姓(ひゃくせい)は皆(みな)其(そ)の耳目(じもく)を注(そそ)げども、聖人(せいじん)は皆(みな)之(これ)を孩(がい)にす。
人々は皆、耳で聞き、目で見ることで生活をしているけれど、道の原則で生きるりっぱな人は赤子のような無垢な心で見えないものを見、聞こえない音を聞いている。
- 孩(がい):乳飲み子。あかご。

