論語【八佾第三】63. 孔子先生の音楽論

孔子先生は音楽が好きでした。

礼の話が多い「八佾第三」で、なぜ突然音楽の話になるのかと思いますが、「礼楽(れいがく)」といって古代中国では儀式に音楽が用いられるなど、礼と音楽は近い存在として儒家ではどちらも尊重されていました。

孔子先生は、音楽には型があるとして、楽官の長に語っています。いわく、音楽は最初各パートがそろって一斉にはじまり、ハーモニーを奏で、それでいて各楽器の音がちゃんと聞こえ、それが続いて音楽になるのだと。

楽器を演奏する皆さん、孔子先生の音楽の「型」は合っていますか?

漢文と書き下し文

子語魯大師樂曰、樂其可知也。始作翕如也。從之純如也。皦如也。繹如也。以成。

子(し)、魯(ろ)の大師(たいし)に楽(がく)を語(かた)りて曰(いわ)く、楽(がく)は其(そ)れ知(し)る可(べ)きなり。始(はじ)め作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。之(これ)を従(はな)つに純如(じゅんじょ)たり。皦如(きょうじょ)たり。繹如(えきじょ)たり。以(もっ)て成(な)ると。

現代語訳

孔子先生が、魯の楽官の長に音楽を語って、このように言われた。「音楽とはどのようなものか知っていなければならない。最初、一斉にそろって始まる。そしてハーモニーが音楽を奏でる。各パートが主張する。継続してとぎれない。それで音楽となる。」

解説

  • 大師(たいし):国の音楽庁長官みたいな人。楽官の長。
  • 翕如(きゅうじょ):音律や声調などがよくそろっているさま。
  • 純如(じゅんじょ):調和のとれたさま。ハーモニー。
  • 皦如(きょうじょ):各パートが主張している
  • 繹如(えきじょ):継続してとぎれないさま