
孔子先生は、ご自身の出身地である魯(ろ)のお隣の国、衛(えい)を訪問しています。
その衛の実力者である王孫賈(おうそんか)さんが、「奥の神棚よりかまどの神様のご機嫌をとれとはどのような意味でしょうか?」と孔子先生に質問します。 当時の諺の意味を質問するふりをして、自分の上司の霊公(=奥の神様)より、実力者の自分(=かまどの神様)のご機嫌をとった方が良いのでは、といった裏の意味もありそうです。
孔子先生は答えて、「そうではない。天に罪を犯せば取返しがつかない。どの神に祈るかではない。」とおっしゃいます。孔子先生は古代人なのにリアリストで、神仏を語りません。孔子先生の天とは、天の理、宇宙の理法のことで、信仰の対象ではありません。天の理にかなう生き方は、自分でするしかなく、誰(どの神様)のごきげんをとるといったことではない、と毅然とおっしゃっています。
書き下し文
王孫賈(おうそんか)問(と)いて曰(いわ)く、其(そ)の奥(おう)に媚(こ)びんよりは、寧(むし)ろ竈(そう)に媚(こ)びよとは、何(なん)の謂(いい)ぞやと。子(し)曰(いわ)く、然(しか)らず。罪(つみ)を天(てん)に獲(え)ば、禱(いの)る所(ところ)無(な)きなりと。
現代語訳
衛国の重臣で実力者であった王孫賈(おうそんか)が、「奥の神棚のご機嫌をとるよりは、かまどの神のご機嫌をとれとは、どのような意味でしょうか」と問うた。孔子先生は答えて、「そうではない(どっちの神、という問題ではない)。天に対して罪を犯せば、どの神に祈っても取返しはつかない。」と答えた。
解説
- 王孫賈(おうそんか):衛国の重臣。衛の霊公の部下。
- 奥(おう):奥の神棚
- 媚(こ)びん:ご機嫌をとる
- 竈(そう):かまどの神
- 其(そ)の奥(おう)に媚(こ)びんよりは、寧(むし)ろ竈(そう)に媚(こ)びよ:当時、このような諺があった
- 天に犯した罪は取返しがつかない。どっちの神ではない。なんとか許してもらえないか、というより二度としない方が向上する。
- 孔子はリアリストで、鬼神を語らなかった。
- 参考記事:論語【公冶長第五】105. 孔子先生は人間の社会的実践を語る

