論語【八佾第三】51. 歴史と伝統の大切さ

孔子先生に、ある人が天子のお祭りの意義を質問します。 孔子先生は、意外にも「知らない」とお答えになり、ご自身の手のひらを指さして「知っている人が天下にいれば、私の指が私の手のひらを示すように明白なことなのにね。」と謎なことをおっしゃいます。

孔子先生は、礼の大家ですから、本当はお祭りの意義をご存じであると思われます。しかし、あまり詳しく意義など述べますと、お祭りを伝統にのっとって実施できていない魯の国の非礼を批判することになりますから、こんな答えをされていると考えられます。

「礼」を説くことがいかに政治的であったかがうかがわれます。 孔子先生にとっては、伝統が失われることは嘆かわしく、国の衰退・退廃の一歩になるとお考えだったのでしょう。

書き下し文

或(ある)ひと禘(てい)の説(せつ)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、知(し)らず。其(そ)の説(せつ)を知(し)る者(もの)天下(てんか)に於(お)けるや、其(そ)れ諸(これ)を斯(ここ)に示(しめ)すが如(ごと)きかとて、其(そ)の掌(たなごころ)を指(さ)す。

現代語訳

ある人が、諦の祭りにはどのような意義があるのですか、と質問した。孔子先生は「知らない。その意義を知っている者が天下にいれば、私の指が私の手のひらを示すように明白であるのに。」と答えて、ご自分の手のひらを指さされた。

解説

  • 禘(てい):まつり。先祖を祭る大祭。
  • 説(せつ):意義
  • 掌(たなごころ)を指(さ)す:手のひらを指さす。「指掌(ししょう)」は、非常に簡単であること、明白であること。