論語【八佾第三】45. 中華思想と周辺諸国

本日の章句は、解釈が時代により変化しています。

中華思想と、周辺の異民族=夷狄(いてき)をどのように見たのかが時代により変化したことが分かり、興味深いですね。

三国時代には今日の章句は「未開の周辺諸国に君主がいても、中華の諸国に君主がいない状況にも及ばない」と解釈されたそうですが、南宋の時代には意味が逆になり、「未開の国でも君主がいて、中華の諸国のような無秩序状況ではない」と解釈されるようになりました。

さて、孔子先生はどちらの意味でおっしゃったのでしょうか?

論語での「礼」が行われていないことに対するお怒りの様子などを拝見しますと、私は南宋の朱子の解釈に一票を投じたいと思います。

書き下し文

子(し)曰(いわ)く、夷狄(いてき)の君(きみ)有(あ)るは、諸夏(しょか)の亡(な)きが如(ごと)くならざるなり。

現代語訳

孔子先生がこのようにおっしゃった。「未開民族にも君主がいるのは、中華諸国のような無秩序状況ではない。」

解説

  • 夷狄(いてき):未開民族。古代中国で中華に対して四方に居住していた異民族(東夷・北狄・南蛮・西戎)に対する総称で、蔑称。
  • 諸夏(しょか):中華の諸国。