論語【八佾第三】41. 礼は理(ことわり):制度、組織、秩序を定める

本日の孔子先生はお怒りになっています。

権勢を誇っている季氏(きし)が、天子しかできないはずの舞の儀式を庭でやっていたというのです。このようなことが許されるわけない、と。

え、踊りを庭でやるくらい良いのでは、と現代人の私たちは思ってしまいそうですが、孔子先生は古代人です。そして孔子先生の重んじる礼とは理(ことわり)であり、物事の条理筋道であり、礼儀作法、制度、組織、秩序を定めることでした。

君子たるもの、全ての動作が礼にかなって美しい、というのが理想であるのに、社長決裁だと決まっていることを、有力者だからといって役員が勝手にやるなんて言語道断だ、という感じでしょうか。

孔子先生の時代に天子しかしたらいけないって、天との交信とかの意味のある舞だったのかしら。どんなだったか見たいですね。

書き下し文

孔子(こうし)季氏(きし)を謂(い)う、八佾(はちいつ)庭(てい)に舞(ま)わしむ。是(これ)をば忍(しの)ぶ可(べ)くんば、孰(いず)れをか忍(しの)ぶ可(べ)からざらんや。

現代語訳

孔子先生は季氏(きし)を批評してこのようにおっしゃった。「天子しかできないはずの八佾(はちいつ)の舞いを庭でやっている。このようなことが許されるのなら、許されないことなどないではないか。」

解説

  • 季氏(きし):魯の諸侯の季孫氏。代々魯の実権を握っていた三つの家のひとつで、特に権力を極めていた。
  • 謂(い)う:批評する
  • 八佾(はちいつ):天子の舞。天子だけがやってもよいお祭り、儀式。
  • 忍(しの)ぶ:平気でする、あるいは、許す、容認する、耐える。