
子(し)曰(いわ)く、吾(われ)回(かい)と言(い)う、終日(しゅうじつ)違(たが)わざること愚(ぐ)なるが如(ごと)し。退(しりぞ)きて其(そ)の私(わたくし)を省(せい)すれば、亦(また)以(もっ)て発(ほっ)するに足(た)る。回(かい)や愚(ぐ)ならず。
孔子先生はこのようにおっしゃった。「私が顔回(がんかい)と話しをしていると、一日中、彼は私に逆らうことがないので、まるで愚か者であるかのようだ。しかし、顔回が私の前を退いて、その私生活を観察してみると、気づかされることがある。顔回は愚かなのではない。」
- 回 (かい):顔回(がんかい)。顔淵(がんえん)とも呼ばれた。孔子の愛した弟子で、孔子より三十歳年少だが孔子より早く亡くなり、孔子は「天(てん)予(われ)を喪(ほろ)ぼせり」と嘆いた。(先進第十一)
- 吾(われ)回(かい)と言(い)う:私が顔回と話していると
- 違(たが)わざる:逆らわない、意見をしない
- 退(しりぞ)きて:顔回が孔子先生の前を退いて、あるいは孔子先生が退いて
- 私(わたくし):私生活
- 省(せい)する:観察する
- 発(ほっ)する:気づく、啓発される
- 顔回は、孔子先生の前ではばかみたいにそうですか、と言っている。本当に分かっているのかな?と思うと、それを勉強している。


