
曾先生(曾子)が亡き友、顔回のことを回想し、あの人はりっぱな人だった、今はああいう人はいないけど、とお話されています。
自分は能力があるのに自分より劣る人にもものごとをたずねて確認し、また自分は知識教養が豊かであるのに、そうではない人の声にも耳を傾けました。有能なのにそれを誇る偉そうなところがまるでなく、知識教養が豊かなのにまだ足りないと虚しきがごとくに学びを進める謙虚な人でした。理不尽なことをされてもいなすかわすで取り合わず、他人と張り合うことはしませんでした。
人間の理不尽な、嫌なところは避けて接しない顔回の知恵は真似したいですね。
Yan Hui: Humble as Emptiness, Skillful in Deflection
Master Zeng (Zengzi) reminisced about his late friend Yan Hui, saying, “He was truly an admirable man. People like him no longer seem to exist.”
Though he possessed great ability, he would still consult even those less capable than himself to seek confirmation. Though rich in knowledge and learning, he listened attentively to the voices of those who lacked such learning. Despite his talents, there was not the slightest trace of arrogance in him; despite his learning, he pursued study with the humility of one who felt it was never enough. Even when treated unfairly, he would calmly sidestep the matter and refuse to be drawn into conflict, never competing with others.
I would like to emulate Yan Hui’s wisdom in avoiding and not engaging with the unreasonable and unpleasant sides of human nature.
漢文と書き下し文
曾子曰、以能問於不能、以多問於寡、有若無、實若虚、犯而不校。昔者吾友、嘗從事於斯矣。
曾子(そうし)曰(いわ)く、能(のう)を以(もっ)て不能(ふのう)に問(と)い、多(おお)きを以(もっ)て寡(すく)なきに問(と)い、有(あ)れども無(な)きが若(ごと)く、実(みつ)れども虚(むな)しきが若(ごと)くし、犯(おか)さるるも校(こう)せず。昔者(むかし)吾(わ)が友(とも)、嘗(かつ)て斯(ここ)に従事(じゅうじ)せり。
現代語訳
曾先生はこのようにおっしゃった。自分は能力があるのに能力のない人にもものごとを質問して確認し、自分は知識教養が多いのに無教養な人にもものをたずね、自分は能力があるのにそうではないように、知識教養があるのにそうではないかのようにふるまい、理不尽なことがあっても張り合うようなことはしなかった。昔、私の友人にそれを実践している人がいたなあ。
解釈
- 能(のう):能力、才能がある
- 不能(ふのう):能力、才能のない人
- 多(おお)き:知識・教養がある
- 寡(すく)なき:無教養な人、学識の乏しい人
- 有(あ)れども無(な)きが若(ごと)く:能力があるのに無いかのように
- 実(みつ)れども虚(むな)しきが若(ごと)く:充実した教養があるのに無いかのように
- 犯(おか)さるる:「何で私がそんなことを」と思うような理不尽なことをされる
- 校(こう)せず:張り合わない、仕返ししない
- 吾(わ)が友(とも):私の友。顔回のこと。
- 従事(じゅうじ)せり:実践していた

