論語【述而第七】162. 仁を貫く生き方が重要

祖国魯での政治改革で失脚した孔子先生は、弟子と共に亡命して隣国の衛にいらっしゃいます。しかし衛でも政治は混乱しており、弟子たちは衛の君主を仁義に欠けた人物であると考えています。

行政手腕に優れた弟子の冉有は「先生は衛の君主をお助けになるのであろうか」と同門の子貢と話しています。外交手腕に優れた子貢は、今すぐ自分が先生にお聞きする、と言って先生の部屋に入ると、直接衛の君主の話はせずに、古代の賢人である伯夷と叔斉を先生がどう評価されるのか、お尋ねします。

話し終わった子貢は、先生の部屋を出て冉有に「先生が衛の君主を助けることはない」と告げます。衛の政治の話はしなくても、伯夷と叔斉の話から、先生は仁を貫く生き方が重要だと考えていらっしゃることが分かったのですね。

The Importance of Upholding Benevolence Throughout One’s Life
After being ousted during political reforms in his home state of Lu, Confucius took refuge with his disciples in the neighboring state of Wei. However, politics in Wei were also in turmoil, and the disciples believed that the ruler of Wei lacked benevolence and righteousness.

Ran You, a disciple known for his administrative talent, asked his fellow disciple Zi Gong whether the Master would assist the ruler of Wei. Zi Gong, gifted in diplomacy, replied that he would ask the Master at once. When he entered the Master’s room, he avoided speaking directly about the ruler of Wei and instead asked how the Master regarded the ancient sages Bo Yi and Shu Qi.

After finishing their conversation, Zi Gong came out and told Ran You, “The Master will not assist the ruler of Wei.” Even without touching on Wei’s political affairs, from the Master’s words about Bo Yi and Shu Qi, he understood that the Master saw steadfast adherence to benevolence as paramount.

漢文と書き下し文

冉有曰、夫子爲衞君乎。子貢曰、諾。吾將問之。入曰、伯夷叔齊何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁。又何怨。出曰、夫子不爲也。
冉有(ぜんゆう)曰(いわ)く、夫子(ふうし)は衛(えい)の君(きみ)を為(たす)けんかと。子貢(しこう)曰(いわ)く、諾(だく)、吾(われ)将(まさ)に之(これ)を問(と)わんとすと。入(い)りて曰(いわ)く、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は何人(なんぴと)ぞやと。曰(いわ)く、古(いにしえ)の賢人(けんじん)なりと。曰(いわ)く、怨(うら)みたるかと。曰(いわ)く、仁(じん)を求(もと)めて仁(じん)を得(え)たり。又(また)何(なに)をか怨(うら)まんと。出(い)でて曰(いわ)く、夫子(ふうし)は為(たす)けざるなりと。

現代語訳

弟子の冉有が同門の子貢に、「先生は衛の君主を助けようとしておられるのだろうか」と問うた。子貢は、「そうだな、私がそのことを今すぐ先生に質問してみよう」と言って先生の部屋に入り、「伯夷と叔斉を先生はどう評価されますか」とお聞きした。先生は、「古代の賢人である」と答えられた。「(二人は隠棲して餓死したことで当時の社会を)怨んだでしょうか」と重ねて子貢がお聞きすると、先生は「二人は仁を求めて仁を貫いたのだ。何を怨むことがあろうか。」とおっしゃった。子貢は先生の部屋を出ると、冉有に「先生は衛の君主を助けないな」と言った。

解説

祖国魯での政治改革に挫折した孔子先生は弟子とともに亡命して衛に滞在している。その後、曹→宋→鄭→陳→衛→蔡→楚→衛をまわること14年に及んだ。孔子55~69歳頃。

  • 冉有(ぜんゆう):孔子の門人。求は名。孔子より二十九歳若い。孔門十哲の一人で、行政手腕に優れ魯の季孫氏に用いられる。参照:Wikipedia 冉有
  • 衛(えい)の君(きみ):衛の君主。仁に欠けた人。 衛の政治は混乱して道義に欠けていると冉有や子貢は考えている。
  • 子貢(しこう):孔子の弟子で、孔子より三十一歳年少。孔門十哲のひとり。弁舌に優れ衛、魯でその外交手腕を発揮した。商才に恵まれ、孔子門下で最も富んだ。子貢は字で、名前は賜(し)。参考:Wikipedia 子貢
  • 伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい):古代中国の高名な隠者で、二人は兄弟。周の武王が殷の紂王を討ったことを諫めて山に隠棲し、周の穀物は食べないとして餓死した。孔子は古の賢人として評価している。
    参考1:ウィキペディア 伯夷・叔斉
    参考2:中国の歴史