論語【公冶長第五】111. 子張、仁を探究する

いつも孔子先生に興味深い質問をしてくれる弟子の子張(しちょう)さんが、今日は先生に「仁」についておうかがいしたいと考えています。

そこで他国の政治家二人の行動を例にとってその人が仁者といえるのかを質問しますが、孔子先生はいずれも「わからないが、それだけでは仁者とはいえない」とお答えになります。

先生は、以前の章句で弟子の子路(しろ)、冉有(ぜんゆう)、公西赤(こうさいせき)についてもそれぞれ才能はあるけど、仁者であるかはわからないとお答えになり、さらに、自分も仁の自他非分離を実践したいと子貢(しこう)が言うと、「おまえにはまだ無理だ」とおっしゃいました。

孔子先生の考える「仁」は高い理想で、だからこそ若く賢く野心的な子張はどうすればそこに到達できるのか知りたかったのでしょうね。

“Zizhang’s Search for Benevolence”
Zizhang, a disciple who often asks thought-provoking questions, wishes to ask Confucius today about the concept of ren (benevolence).

He presents the actions of two politicians from other countries as examples and asks whether they can be considered men of ren.

However, Confucius replies to both examples, “I don’t know—but based on that alone, one cannot be called a man of ren.”

In an earlier passage, Confucius had said that his disciples Zilu, Ranyou, and Gongxichi were each talented, but he was unsure whether they were truly benevolent. Furthermore, when Zigong once said that he wished to embody the selfless relationship with others that is central to ren, Confucius told him, “You’re not there yet.”

To Confucius, ren is a lofty ideal. And that is likely why the young, intelligent, and ambitious Zizhang was so eager to learn how he might attain it.

漢文と書き下し文

子張問曰、令尹子文、三仕爲令尹無喜色。三已之無慍色。舊令尹之政、必以告新令尹。何如。子曰、忠矣。曰、仁矣乎。曰、未知。焉得仁。崔子弑齊君。陳文子有馬十乘。棄而違之、至於他邦。則曰、猶吾大夫崔子也。違之。之一邦、則又曰、猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰、淸矣。曰、仁矣乎。曰、未知。焉得仁。

子張(しちょう)問(と)いて曰(いわ)く、令尹(れいいん)子文(しぶん)、三(み)たび仕(つか)えて令尹(れいいん)と為(な)れども、喜色(きしょく)無(な)し。三(み)たび之(これ)を已(や)めらるれども慍色(うんしょく)無(な)し。旧(きゅう)令尹(れいいん)の政(まつりごと)は、必(かなら)ず以(もっ)て新(しん)令尹(れいいん)に告(つ)ぐ。何如(いかん)と。子(し)曰(いわ)く、忠(ちゅう)なり。曰(いわ)く、仁(じん)なるかと。曰(いわ)く、未(いま)だ知(し)らず。焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(え)んと。崔子(さいし)、斉君(せいくん)を弑(しい)す。陳文子(ちんぶんし)、馬(うま)十乗(じゅうじょう)有(あ)り。棄(す)てて之(これ)を違(さ)る。他邦(たほう)に至(いた)れば則(すなわ)ち曰(いわ)く、猶(な)お吾(わ)が大夫(たいふ)崔子(さいし)のごときなりと。之(これ)を違(さ)る。一邦(いっぽう)に之(ゆ)けば則(すなわ)ち又(また)曰(いわ)く、猶(な)お吾(わ)が大夫(たいふ)崔子(さいし)のごときなりと。之(これ)を違(さ)る。何如(いかん)と。子(し)曰(いわ)く、清(せい)なりと。曰(いわ)く、仁(じん)なるかと。曰(いわ)く、未(いま)だ知(し)らず。焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(え)んと。

現代語訳

弟子の子張が孔子先生に質問した。「楚の名宰相といわれた子文は、三回宰相の地位に任命されましたが、喜ぶ様子はなく、三回その地位から免職されましたが、不満な様子は見せませんでした。辞めるときには、自分の業務を新任の宰相にしっかりと引継ぎました。このような人物をどう評価されますか。」孔子先生は答えて「それは忠実だ」とおっしゃった。子張が重ねて「仁といえますか」とお聞きすると、「それだけでは分からない。どうして仁といえるだろうか」とお答えになった。子張がまた、「斉の大夫の崔子が自分の君主を討ったとき、陳文子は馬四十頭の財産を持っていたにもかかわらず、国を去りました。他の国に行っても自国の崔子のような大夫がいる、と言ってこの国も去りました。また別の国に行って、また崔子のような大夫がいる、と言ってここも去りました。このような人物をどのように評価されますか。」と質問すると、孔子先生は、「それは清廉である」と答えられたので、子張が重ねて「仁といえますか」とお聞きすると、「それだけでは分からない。どうして仁といえるだろうか」とお答えになった。

解説

  • 子張(しちょう):孔子一門でも最年少で孔子先生より48歳若い。孔門十哲には含められていないが、論語での出現回数は多い。頭の良い野心的な人だったのか、孔子先生からは「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」の「過」と評価され、兄弟子からは「優れた人材だが、仁に至っていない」などと評価された。参考: ウィキペディア 子張
  • 令尹(れいいん):楚の国の官名で、宰相のこと。
  • 子文(しぶん):中国春秋時代の楚の公族で宰相。清廉で知られ、楚屈指の賢相といわれる。孔子より百年以上前に活躍した人物。参考:ウィキペディア 闘穀於菟
  • 慍色(うんしょく):怒りを含む顔色。恨みや不平不満の表情。
  • 忠(ちゅう):忠実
  • 崔子(さいし)、斉君(せいくん)を弑(しい)す:斉の大夫の崔子は、自分の上司である斉の君主を殺すクーデターを起こした。斉君の在位が前553~前548なので、孔子が3~4歳の時に起きたこと。
  • 陳文子(ちんぶんし):崔子の起こしたクーデターに反対した斉の大夫。
  • 馬(うま)十乗(じゅうじょう):馬四十頭。一乗は、四頭立ての馬車一台のこと。
  • 大夫(たいふ):中国での官位の呼称。
  • 清(せい):清潔、清廉、清廉潔白