子罕第九

論語【子罕第九】229. よい言葉を聞いたら行動を変える

先生は、よい言葉を聞いたときに、「その通りですね」と従ったり、「よいことを聞いた」とただ喜んだりする以上に、その言葉の意味をよく考えてひもとき、自分にひきつけて考えて「それではこうしよう」と行動を変えることこそ大事だとおっしゃいます。学んだ...
老子 道徳経

老子【歸元第五十二】内なる光で道に立ち返る

私たちはみな、この大宇宙・大自然の生みの親である「道」の子です。それを知り、母である道の教えを守れば一生危うさがない、と老子は言います。心の平静を保つには余計な外界からの刺激はシャットアウトすること。それに反応して行動していれば一生救われな...
子罕第九

論語【子罕第九】228. 若者い人はおそるべき

先生は、若い人はあなどれない、これからの人が今の世代に及ばないとは言えない、とおっしゃいます。でも40、50になっても評判が世に聞こえないようであれば、それはもうおそれるには足らないけれど、とも。若いことはエネルギーであり可能性。そのエネル...
子罕第九

論語【子罕第九】227. 花は咲いても実らないことがある

先生は、また夭折した弟子、顔淵の話をされているのでしょうか。芽は出ても花は咲かないものがある、花は咲いても実らないものもある、と嘆きのような口調でおっしゃっています。人それぞれ、プロセスを急ぐことなく、淡々と行って「六十にして耳順う、七十に...
子罕第九

論語【子罕第九】226. 日々新たな気持ちで山を登る

顔淵は先生が期待をかけた優秀な弟子でしたが、夭折してしまいました。先生は顔淵がいなくなったことを残念だとおっしゃいます。顔淵は常に進歩し続ける弟子でした。ちょっとひとやすみ、もうこれで良いということはありません。「日々新たなり」で夜が来てま...
子罕第九

論語【子罕第九】225. 発憤が自己啓発の基本

先生は、教えを受けると怠ることなく、教えていないことまで自ら自発的に取り組むのは顔回くらいだ、と弟子の顔回をほめています。自らやろうと発憤しない人に教えても意味がないと先生は考えています。発憤することが自己啓発の基本です。Inner Dri...
子罕第九

論語【子罕第九】224. 学問修行はなるもならないもあなた次第

先生は、学問修行をまず、「山をつくる」ことにたとえています。土を一杯づつ運んで山を作っているときに、あと一杯で完成するのに止めてしまうとすれば、それは、あなたがやめるのだと。また別のたとえで、「地を平らかにする」ことで言うなら、たった一杯の...
易経

易経講話】27. 山雷頤ー自分を養うものは自ら求める

頤は「あご」。人はあごを動かして物を食べて体を養うため、頤は養うという意味になる。この卦は上と下に陽爻があって、中の四爻は陰爻であって空虚になっている。内部が空虚であることを注意してみる。肉体にしても腹がいっぱいではもう飲食物は入らない。心...
老子 道徳経

老子【養徳第五十一】道は生み育てて見返りを求めない

宇宙の根源である道はあらゆるものを生み出し、道のエネルギーである徳は生まれてきた万物を養い育て、完成させ、成熟させ、そして守っています。これだけの働きをしながら、道は自分が生み出したものを所有しようとはせず、見返りを求めず、支配しません。こ...
子罕第九

論語【子罕第九】223. 欲望は自然にめばえるが徳は修養を要する

先生は、美しい女性を好むように徳を好む者をまだみたことがない、とおっしゃいます。欲望と理性の働きの違いを言われているのでしょうか。人生に何が重要か考えさせられますね。Desire Is Natural, Virtue Requires Di...