子罕第九

論語【子罕第九】214. 不誠実な世界を嘆く

名君が現れる前兆である鳳凰はやってこない。黄河からは伝説の竜馬は現れない。私はもうおしまいだ、と孔子先生は嘆かれています。リーダーには天の援助、支援による強運が必要で、天は誠実な人に味方するけれど、今の世の中にはそれがないのです。Lamen...
老子 道徳経

老子【任德第四十九】徳が発揮されるのを期待して待つ

大宇宙・大自然の根源である道の原則で生きているりっぱな人は、善人を見れば善人だと思うし、善人でない人を見ても善人であるとします。それは、人間は本来、道から徳を授かって生まれてきているから。徳は善なるものだから、今善人かどうかは今善を発揮でき...
子罕第九

論語【子罕第九】213. 知識より誠実さ

先生は、自分は物知りということではない、とおっしゃいます。ただ、誰かが自分に誠実に質問をするのであれば、たとえその人が身分も低く無学な人であっても、自分の頭と心のすみずみまで、知っている限りを動員して誠実に答えるのだと。誠実な問いには、誠実...
子罕第九

論語【子罕第九】212. 逆境が人を育てる

どこかの国の高官が、孔子先生が多能であることに驚いて、先生は聖者ですか、と称賛しました。それを聞いた先生は、あの方は私のことをよくご存じないようだ、私は若い頃、身分も低く貧しかったので、様々な卑しい仕事をせざるを得ずに、卑しいやりくりに多能...
易経

【易経講話】25. 天雷无妄ー私心なく天理のままに動き止まる

无妄(むぼう)は、妄なることのないこと。至誠真実にして一点の虚妄邪偽なることのないこと。震は動き、乾は天。動くに天をもってする。天の道に順って動き、至誠真実にして一点の虚妄邪偽はない。こうすれば結果がこうなるであろうと待ち受け期待する心がな...
子罕第九

論語【子罕第九】211. 天命に生きる揺るぎなさ

孔子先生が命の危険に遭遇されたときに言われたことば。私は周の文王の伝統の継承者であり、私に継承させたということは、天はこの伝統を滅ぼそうとはしていない。そうであるなら、私を襲う者がいたとしても、私に何ができよう。先生は伝統の継承者としての使...
子罕第九

論語【子罕第九】210. 意なく必なく固なく我なし

孔子先生は貧しい生い立ちから聖人になりました。その人生のポイントが書いてあるのが論語で、この章句はその要点。先生は四つのことを絶っていました。行動においてはやると思い定めたことを必ずと無理押しされることがなく、また行動の結果に固執・我執は持...
子罕第九

論語【子罕第九】209. 倹約なら今風もよい

孔子先生は、古代王朝である周の礼法を理想と考えています。でも例えば節約のために冠の素材を変更して礼法を簡素化することには賛成です。一方、君主に対して堂下からではなく、堂に上がって君主と同じレベルで礼をするような変更は驕りなので、たとえそれが...
老子 道徳経

老子【忘知第四十八】無為にして為さざる無し

老子は、無為であればできないことがなくなる、といいます。では無為とはどんなことでしょうか。日々勉強すれば知識が増えてゆくように、日々を宇宙を動かす道の原理原則にしたがって生きていれば自分はどんどん空になってゆきます。その空っぽの自分が無為で...
子罕第九

論語【子罕第九】208. 孔子先生はマルチタレント

ある村人が、孔子先生について、偉大な方だが、博学すぎて何の専門家なのかわからない、と言いました。先生はこれを聞くと弟子たちに、では何の専門家になろうか、馬術にするか、弓にするか。やはり馬術か、とおっしゃいました。世の中で評価されやすいのは専...