八佾第三

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論語【八佾第三】66. 人として誠があるか

孔子先生がこのように語っています。 「人の上に立って寛容でなく、礼を行ってうやまいつつしむ心がなく、葬儀に参列して悲しまない人は、人として見どころがない」儒教のリーダーの資質としては、「書経」の九徳(リーダーの9つの資質)にも、最初に「寛(...
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論語【八佾第三】65. 美しい音楽とは

音楽がお好きな孔子先生がまた音楽の批評をしています。古代の聖王である舜が作った楽曲については、「至高の美であり、善である」とおっしゃいましたが、同じく古代の聖王である武王が作った楽曲については「至高の美であるが、至高の善であるとはいえない」...
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論語【八佾第三】64. 無官の指導者

孔子先生はご自身が生まれた国である魯で大司寇(だいしこう・警察庁長官)の地位まで登りつめるものの5年あまりで失脚、弟子たちを連れて放浪の旅に出て、周辺諸国に活躍の場を求めるも仕官は叶わず、14年間もの亡命生活を送っていました。そんな孔子先生...
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論語【八佾第三】63. 孔子先生の音楽論

孔子先生は音楽が好きでした。礼の話が多い「八佾第三」で、なぜ突然音楽の話になるのかと思いますが、「礼楽(れいがく)」といって古代中国では儀式に音楽が用いられるなど、礼と音楽は近い存在として儒家ではどちらも尊重されていました。孔子先生は、音楽...
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論語【八佾第三】62. 孔子先生の物質主義批判

孔子先生は、一世紀前の隣国・斉の政治家である管仲(かんちゅう)を批判しています。 管仲はその著書で「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」としており、斉の富国強兵策を推進した宰相でした。このような物質主義的な考え方を孔子先生は好みま...
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論語【八佾第三】61. もしかして駄洒落?

魯の君主に孔子の弟子の宰我(さいが)さんが、土地の神様をまつる社の建築材について質問をされています。宰我さんは、昔の王朝ではこのような木材を用いました、とお答えします。中国最古の王朝である夏王朝では松を、その次の殷王朝では柏を、その次の周王...
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論語【八佾第三】60. 詩経の冒頭を味わう

漢文と書き下し文子曰、關雎樂而不淫、哀而不傷。 子(し)曰(いわ)く、関雎(かんしょ)は楽(たの)しみて而(しか)も淫(いん)せず、哀(かな)しみて而(しか)も傷(やぶ)らず。現代語訳孔子先生はこのようにおっしゃった。「詩経冒頭の関雎(かん...
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論語【八佾第三】59. 上司は礼儀正しく、部下はまごころで

孔子先生の上司である魯国の君主、定公(ていこう)が孔子先生に質問しました。 「上司と部下の関係というのは、どのようにあるべきだろうか。」 孔子先生は答えて、 「上司が部下を使うときは礼儀正しさが重要です。部下が上司につかえるにはまごころが大...
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論語【八佾第三】58. この世は誤解に満ちている

孔子先生は、主君に仕えるのに礼を尽くすことは当然のことであると考えています。しかし、そんな孔子先生を「あの人は主君にこびへつらっている」と謗る人がいると言うのです。部下としての礼儀と、こびへつらい。全く違うものですが、理解されない。この世は...
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論語【八佾第三】57. 道徳的退廃はとりかえしがつかない

孔子先生のいらっしゃる魯の国では、昔からの儀式が形骸化しつつあり、毎月の一日を宗廟に報告する儀式においては、君主の出席もなく、生贄の羊をささげるだけの形式的なものになっています。そこで、孔子先生の優秀な弟子のひとりで商才もある子貢さんは、生...