老子【安民第三】無為の治世

今日は、老子道徳経から「安民(あんみん)第三」を読んでゆきます。

ポイントは、

  1. 賢さを良いこととすると競争が始まる
  2. お金の価値を重視すると持っていない人は盗みたくなる
  3. 欲望をかきたてるものを見ると、人の心は乱れる
  4. 道と共に生きる聖人は、心はからっぽ、体を大切にする
  5. 知識偏重や欲望はほどほどにして無為であることを大切に

です。

「道」については「老子の宇宙観 體道(たいどう)第一」から毎回出てきますが、宇宙の根源、宇宙を動かすエネルギーのことです。

Photo by Alexander Mils

今回は、「賢いことを良いとしない」とか、「お金の価値を重視しない」など常識の逆?とも感じますが、どのような意味でしょうか。

それでは、老子のテキストを読んでみましょう。

安民(あんみん)第三

賢(けん)を尚(たっと)ばざれば、民(たみ)をして争(あらそ)わざらしむ。得難(えがた)きの貨(か)を貴(たっと)ばざれば、民(たみ)をして盗(とう)を為(な)さざらしむ。欲(ほっ)すべきを見(しめ)さざれば、民(たみ)の心(こころ)をして乱(みだ)れざらしむ。

是(ここ)を以(もっ)て聖人(せいじん)の治(おさ)むるや、其(そ)の心(こころ)を虚(むな)しくして、其(そ)の腹(はら)を実(みた)し、其(そ)の志(こころざし)を弱(よわ)くして、其(そ)の骨(ほね)を強(つよ)くし、常(つね)に民(たみ)をして無知無欲(むちむよく)ならしめ、夫(か)の智者(ちしゃ)をして敢(あえ)て為(な)さざらしむ。無為(むい)を為(な)せば、則(すなわ)ち治(おさ)まらざる無(な)し。

私の解釈

賢い人を尊重しなければ、民を争わせることがない。手に入れることが難しい財貨を素晴らしいものだとしなければ、民に盗みを働かせることがない。欲しくなるようなものを見せなければ、民の心を乱れさせることがない。

だから、立派な人の身の治め方は、心を空にして、お腹を満たし、志を弱くして骨を強くし、民を無知無欲にし、智者は敢えて認めない。無為であれば、治められないものはない。

まとめ

  1. 賢さを良いこととすると競争が始まる:知識習得を良いことと評価してしまうと、より多い知識を争う競争が始まる。
  2. お金の価値を重視すると持っていない人は盗みたくなる:分相応が大事だけど、たくさん持っている人の生活を見てしまうと、もっともっととなってしまう。
  3. 欲望をかきたてるものを見ると、人の心は乱れる:もっともっとが本当に自分にとって良いことなのか。心が乱され、満足できなくなっているだけかも。
  4. 道と共に生きる聖人は、心はからっぽ、体を大切にする:からっぽの心は、道と共に生きるコツ。いっぱいいっぱいでないから道と交流し、道が助けてくれることができる。
  5. 知識偏重や欲望はほどほどにして無為であることを大切に:外界から得られる知識や物質への欲望はほどほどにして心を空にしていると宇宙を動かすエネルギーである道と共に生きられる。

最後の、「無為(むい)を為(な)せば、則(すなわ)ち治(おさ)まらざる無(な)し。」の部分は、聖人の身の治め方は無為を大切にする、という読み方もできるし、立派な人が民を治めるときには無為である、とも読めます。

聖人とは、道の在り方を自分の在り方とする人のことでした。

ここの「無為」は、「志を弱く」などともあることから、心が空ということなのかなと感じました。

治世者の心が空ってどういうこと?と思いますが、古代には神託を行える人が治世者であったことを考えると、人の作り上げた知識の集積よりも心を空にして宇宙のエネルギーと交流できる能力が治世者に大事と考えることも、分からなくはありません。

現代でも天皇が伊勢神宮へ参拝などされていますし、社長室に神棚がある企業もありますね。神棚に手を合わせるときのありようが無為、ともいえそうです。

もし治世者の心がお金や物への欲望でいっぱい、そして悪いことしても法律をかいくぐる知識はある、とかだったらすごく怖いし嫌ですね。