
先生は、学問修行をまず、「山をつくる」ことにたとえています。土を一杯づつ運んで山を作っているときに、あと一杯で完成するのに止めてしまうとすれば、それは、あなたがやめるのだと。
また別のたとえで、「地を平らかにする」ことで言うなら、たった一杯の土しかまだ運べていなかったとしても、その一杯分は確実に進んでいて、それはあなたが前進していることだとおっしゃいます。
学問修行がなるもならないも、自分次第。「やめたいときが伸びるとき」であと一週間、一ヵ月すると伸びるという天のしるし。
Whether Your Learning Succeeds Is Entirely Up to You
The Master first compares learning and self-cultivation to “building a mountain.” When carrying earth one basketful at a time, if you stop when just one more basketful would complete the mountain, it is you who stopped.
In another analogy, using “leveling the ground,” even if you have only managed to move one basketful of earth so far, that one basketful is surely progress — and it is you who have moved forward, he says.
Whether your learning and self-cultivation succeeds or not is entirely up to you. “The moment you want to quit is the moment you grow” — endure one more week, one more month, and it is a sign from heaven that you are about to flourish.
漢文と書き下し文
子曰、譬如為山、未成一簣、止、吾止也。譬如平地、雖覆一簣、進、吾往也。
子(し)曰(いわ)く、譬(たと)えば山(やま)を為(つく)るが如(ごと)し。未(いま)だ一簣(いっき)を成(な)さざるも、止(や)むは、吾(わ)が止(や)むなり。譬(たと)えば地(ち)を平(たい)らかにするが如(ごと)し。一簣(いっき)を覆(くつがえ)すと雖(いえど)も、進(すす)むは吾(わ)が往(ゆ)くなり。
現代語訳
先生はこのようにおっしゃった。(人の学問修行というのは)たとえば山を築くようなものだ。あと一杯の土で完成するときに止めてしまうのは、私が止めるのだ。たとえば地面を平らにするようなものだ。たった一杯の土でもその分進んだのは、私が前進したのだ。
解説
- 譬(たと)えば:たとえるならば
- 為山(やまをつく)る:土を盛り上げて山を作ること
- 一簣(いっき):ひとかごの土。簣(き)はもっこ(土を運ぶための竹や藁で編んだ道具)
- 未(いま)だ〜ずして:まだ〜しないうちに
- 吾止(わがやむ)なり:私が止めるのだ。止めるのは自分自身
- 平地(ちをたいらかに)する:地面をならすこと
- 雖(いえど)も:〜であるけれども
- 吾往(わがゆく)なり:私が進むのだ。前に進むのも自分自身


