直心道場(じきしんどうじょう)
意味:まっすぐな心が修行の場所(特別な場所に行かないと修行ができないのではない)
先日うかがった座禅堂で、何と書いてあるかは分からないけど立派な書がの額がありましたので、眺めておりましたら、禅堂の方が、「それは直心道場(じきしんどうじょう)と読むんですよ。心のありよう次第で、今いる場所が修行の場所になるという意味です」と教えて下さいました。

ググってみましたら、「維摩経」に出て来る維摩さんの言葉であると分かりました。
修行をするための静かで落ち着ける場所を探している人に対して、修行はどこかへ行かないとできないものではない、「直心道場」なので、心のありようで、どこにいても修行ができる、と言ったというエピソードがあるそうです。
ブッダの直弟子たちも恐れをなすほど弁の立つスーパー在家信者の維摩さんらしい言葉ですね。
また「どこにいても修行はできる」という考え方は、お釈迦様の時代の出家する仏教から、在家も可能な大乗仏教へと仏教が進化したんだなと感じます。
「直心(じきしん)」とはどのようなものでしょうか。
まっすぐな心。仏教の修行というと座禅で、座禅では背筋を伸ばすということが言われますが、このとき心もまっすぐに立てる感じだろうか。
先日、私の東洋思想の師である田口佳史先生の講義で、松下幸之助が亡くなる前の、本当に最後の一言が「素直」だと聞きました。もっとすごいものがあるのではとか分析的に複雑に考えずに素直に受け止めるのが成功の秘訣であると。
「まっすぐな心」に松下幸之助の遺言「素直」が重なりました。


